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第9回北府駅から始まる「愛の物語・愛の詩 募集!」 令和四年(2022年)
〜 駅と電車に残る思い出〜 < 受賞者 >
散文部門
武生商工会議所賞
あの夏の日 北西 妃都美 (越前市)
優秀賞
北府駅〜再会の雪道〜 萩原 虎也 (武生商工高校一年)
秀作賞
電車での思い出 柳生 隆明 (越前市)
にじ 大西 れい子 (武生東小学校一年)
佳作
青春を乗せてくれた福武線 高田 紗羽 (武生商工高校三年)
大変お世話になった電車 飯塚 朱音 (武生商工高校三年)
きたごえきのさくら 石川 しの (武生東小学校三年)
きたごえきのイベント 成田 結衣菜 (武生東小学校五年)
弟と電車 辻 湊人 (武生東小学校五年)
むかえにいったおねえちゃん 白木 かのん (武生東小学校二年)
でんしゃのいろ まるやま はるの (武生東小学校一年)
アイス つかさき まこ (武生東小学校一年)
あんぜんうんてん せき しゅんすけ (武生東小学校一年)
はやぶさ いのうえ いつき (武生東小学校一年)
詩部門
福井県詩人懇話会賞
ふうせん
ヴォイットランド・エミリー (武生東小学校一年)
優秀賞
冬に北府駅の桜を思う 竹内 彩夏 (武生東小学校四年)
秀作賞
すきになった電車 大森 千あい (武生東小学校二年)
北府駅では 澤田 結菜 (武生東小学校四年)
電車の想い出 高田 孝子 (福井市)
佳作
冬の朝の始発駅 飯塚 富美子 (越前市)
里帰り 大久保 円椛 (武生商工高校二年)
北府駅の一年 三好 祷行 (武生東小学校四年)
外出自粛 高橋 大瑠 (武生東小学校五年)
ちょっと古い感じ 大下 まひろ (武生小学校五年)
短歌部門
フクラム賞
駅で待つ私をまとったスカートがふわりと舞った視界には君
山木 優依(武生商工高校二年)
優秀賞
足そろえ君と並んで線路沿い好きの二文字を電車がかき消す
永宮 裕月 (武生商工高校二年)
秀作賞
キーボが見れて幸せと言う孫も電車通学する歳近し
山下 美和枝 (鯖江市)
残されたこの駅通った思い出が春近くなりまた思い出す
高島 悠那 (武生商工高校一年)
佳作
北府駅友達さがしに自転車でいったりきたり秋夕焼けかな
有定 拓真 (武生東小学校五年)
時計など持たぬ少女期通過する電車の音に時を知りたり
佐々木 邦子 (鯖江市)
あの電車見るたび君を思いだすレアな柄で楽しかったなあ
関 光里 (武生商工高校三年)
二階から見える景色に北府駅譲れるものか特等席を
岡部 優輝 (武生商工高校三年)
次の駅先におりる君を見てまた明日ねと笑いかけたの
大崎 たいな(武生商工高校三年)
昨日とは違う本読み搖れる君声掛けるなら今日がチャンス
木戸口 梨華 (武生商工高校三年)
放課後の人が少ない電車内気になる人を眺め放題
中井 美友 (武生商工高校一年)
若かりし好きと言えずに別れた日君乗る電車遠ざかり行く
野尻 茂信 (鯖江市)
会いたくて電車賃なんて惜しくないそれくらい君が大好きなんだ
坂 美依奈 (武生商工高校二年)
あのえきでであったきみとさよならだ今日こそたのむおしえ君の名
リースダニエル (武生商工高校二年)
ホーム横電車待つ間友達と量産していくミニ雪だるま
竹越 鈴夏 (武生商工高校一年)
ガタンゴトンとなる電車は人助けになる
牧野 千愛 (武生東小学校六年)
じゃあまたね次は私が会いに行くもう覚えたよ多い乗り継ぎ
戸谷 晴香 (武生商工高校二年)
うるさいなガタンゴトンと揺れる音あなたの寝息あたしの鼓動
伊藤 南海 (武生商工高校三年)
車椅子老いてゆく母乗せ北府駅泣いているらし母の目赤い
山崎 恵里子 (越前市)
さくらなみきおばあちゃんとてをつないでとおるかいさつぐち
やじま けいと(武生東小学校一年)
俳句部門
北府駅を愛する会賞
貝寄せの風に煽られ行く電車
大辻 法亜 (武生商工高校一年)
優秀賞
起こされて飛び乗る日々や卒業す
三好 弘幸 (越前市)
秀作賞
雪しまき君待つ駅の遠さかな
佐々木 邦子 (鯖江市)
ふみきりやかんかんなって雪ちらす
西野 みゆか (武生東小学校三年)
電車来るパンダグラフに氷柱提げ
舘 栄一 (越前市)
佳作
カーブよりぬっと現わる初電車
加藤 信子 (越前市)
春風や切符に穴のリズミカル
野尻 茂信 (鯖江市)
桜咲く北府の駅のハイヒール
五十嵐 一豊 (鯖江市)
二月の駅彼女と分かつKIT CUT
尾? 相太 (武生第一中学校一年)
あたたかい電車の外は雪走る
西野 しゆんき (武生東小学校五年)
はつゆきが電車をしろくけしょうする
三石 ともか (武生東小学校一年)
いつもいるまちがうごくよきたごえき
上しま たから (武生東小学校二年)
きたごえき足音はやくさむい朝
木村 せな (武生東小学校二年)
北府駅たたずむ自販機白い屋根
山本 悠樹 (武生東小学校五年)
無人駅雪とあなたと私だけ
林 妃莱莉 (武生商工高校二年)
待ち時間二人でつくった雪だるま
田中 未鈴 (武生商工高校三年)
暑い日も暑くない日も北府駅
上野 なっ穂 (武生商工高校二年)
川柳部門
福井新聞社賞
足ふんばる手には吊り革と単語帳
尾崎 ひとみ (越前市)
優秀賞
君と乗る鈍行電車は急行だ
青山 魅花 (武生商業高校二年)
秀作賞
雪降る日こない電車を君と待つ
三好 姫夏 (武生商業高校一年)
電車待ち兄と分けたモナカアイス
尾崎 仁郎 (大虫小学校五年)
佳 作
始発駅私の恋も始った
山野 依吹 (武生商業高校三年)
目が合った恋も電車も加速する
玉川 千花 (武生商業高校三年)
ねえ見えてた?車両のすみの恋の華
杉本 真澄 (越前市)
君おらぬため息ひとつ発車音
野尻 茂信 (鯖江市)
顔が熱い隣に座る君のせい
石田 花凛 (武生商業高校一年)
雪だるま君と一緒にいなくなる
山岸 愛子(武生商業高校二年)
散文部門作品
武生商工会議所賞
「あの夏の日」
北西 妃都美(越前市)
夏のある日、武生駅から電車に乗って福井まで行った。
高校を卒業し、車を運転するようになってからは、電車にはほとんど乗らなくなった。年に数回、電車に乗るとすれば、それは目的地が電車の駅から近かったり、お酒を飲みに行ったりする場合だ。
電車に乗るのは久しぶりだ。
夏の夕暮れ。もう7時に近いと言うのにまだ辺りは明るい。駅のホームに吹く風は少し涼しく感じる。
発車の笛が鳴り、私は急いで電車に乗り込み、入口付近の椅子に座った。フクラムの中は乗客はまばらで、意外とすいていた。(そっか。今日は土曜日だから学生や通勤客は少ないんだ)
ゆっくりと電車が発車する。電車の動きに身を委ね、車窓の懐かしい風景をながめていた。
福武線で、特に好きな場所がある。
そこを通ると、なにかしら懐かしさとワクワクする高揚感を感じる。
その場所は、神明駅を過ぎたところにある竹やぶ。線路の両側に青々とした竹の木が、上から覆いかぶさるように生えている。季節はどの時期でも素敵で、特に夏は光が差すと、一瞬、異空間に入ったような感覚になり、私は心が浮き立った。昔、この辺りは鳥羽野といい、竹やぶが広がっていた。遺構は何も残っていないが、竹やぶの中に居館あとの土塁と堀が巡らされているそうだ。室町時代には魚住民の備前守の居館があり、江戸時代にはこの一帯の開拓をになった福井藩士渡辺牛衛門の居館があったそうだ。
電車は、日赤を過ぎると軌道線(路面電車)に変わる。急に都会に来たような感じになる。ビルが立ち並ぶ福井市の中心部。福井城址大名町駅で電車を下りた。しばらく歩いて目的地の浜町に着いた。
浜町は、浜町河戸(船の発着所)があり、江戸時代に栄えた町で足羽川に面していることから、運河を利用して商いをしていた廻船商や船乗りが立ち寄ったのだろう。今でも料亭や料理屋、旅館のビルが立ち並ぶ。また、河原では芝居興行がなされるなど、城下町の繁華街だったようだ。
その日電車に乗ったのは、浜町にある古いビルをリノベーションしてお店を始めた知人のオープン祝が目的だった。
むき出しのコンクリートの壁。70年代の懐かしさがそこにあった。
70年代、青春時代を過ごした私たちは「しらけ時代」と呼ばれた。
三無主義、四無主義(無気力、無関心、無感動、無責任)とも言われた。
学生運動が収まったころ、75〜80年に成人になる遅れてきた世代。どこか冷めていて、世の中の出来事に無関心で、物事の中心ではなく傍観者になりたがる。努力とか根性って言葉は嫌いで、一章懸命になることはカッコ悪いと鼻であしらっていた。
あの夏の日の事を思い出していた。
その日は、夕方までバイトがあったので武生から電車に乗って福井の街にやってきた。
中央公園のサマーフェスティバル「ふくい夏フェス」会場。
太陽だけが無駄に活気があり、頭痛と腹痛で倒れそうだった。大学生になった同じ年ごろの女の子の華やかで眩しい姿。彼女たちは綺麗に化粧をし、自信に満ちあふれていた。彼女たちを取り巻く男の人も派手なシャツを着てとても大人に見え、別の人種のように見えた。一方、私のかっこうはバイトあがりの汗まみれのシャツに黒のホットパンツというサエない姿。顔は化粧もしていない。知っている人に会わないかドキドキしていた。
(あ、やばい!同級生の中嶋さんだ!)
長身の女性が近づいてきた。
「あら、ユーコ。今どうしているの?」
「・・・うん」
「大学は?」
「あ、行ってないよ。落ちた。ただいま浪人中」
「あろ、そう」
相手はバツがわるそうな顔をした。私は無理やり作り笑いを浮かべた。浪人なんて嘘。勉強なんてしていない。大学なんて行く気はない。今日は今まで武生の喫茶店でバイトだった。テンション高めで明るく状況説明する自分。早く帰りたくなった。
やがて辺りは薄暗くなり、街の灯りがぽつぽつとともりだした。
ステージでは、。賑やかにライブ演奏が始まった。
その頃私は、「シナモンベィビィ」というバンドのボーカルをしていた。ギターが弾ける訳でなく、ドラムやキーボードがたたける訳でもなく、歌い手と言っても歌声がとび抜けて上手い訳でもない。バンドの一員として何も役に立たないと自分を卑下していた。ただ、歌詞を書いていた。
ある時、自分が書いた詩をリーダーに見せたが「俺たちのバンドにはあわないな」と却下された。意気地のない私は、バンドのメンバーから外れた。
誰も引き止めはしなかった。
どこから湧き上がる気だるさと、どうしょうもない焦燥感。
私は誰なんだろう?
何がしたいのだろう?
どこえ行けばいいのだろう?
誰に会えばいいのだろう?
あの時、歌うことを続けていたら違ったかもしれない。
詩だって、諦めず何回もトライしていたら認められたかもしれない。
ガンガン鳴る音楽。叫ぶように歌う男性ボーカル。今回はシナモンベィビィは出ていない。あのステージの上で歌ってみたかった。なぜか私の目から涙があふれている。耳に響く爆音。歌詞が全く頭に入ってこない。
その時、先に夏フェスに来ていたメンバーの一人が私に声をかけた。
「一緒に踊ろうよ」
ステージ前では、曲にあわせて何人もの若者たちが身体を動かし踊っていた。私は急に逃げ出したくなり、人並みをかきわわけて走りぬけた。彼は追いかけてくる。群衆のかたまりから抜け出し公園の芝生の上を走った。
追い詰められて私は自動販売機の陰に隠れた。が、すぐに見つかった。
「なんで逃げるんだ」
「べつに」
「来てると思ったよ」
「ジルバなんて恥ずかしくて踊れない!」
傷つきやすい心は、まるでむき出しのコンクリートの壁のようにあらわになり、背伸びして履いていた赤いハイヒールは、痛くてもう一歩も進めない。無造作に脱ぎ捨てて裸足になった時の解放感。気持ちよかった。ポニーテールの髪もほどいた。
昼間の生ぬるい風が夜になるとひんやりと心地よく、長い髪を揺らして優しく頬をなでた。冷えたコーラーで喉をうるおし、二人並んで歩いた。
「屋上へいこう」
その声に誘われてついて行った。ビルの横の螺旋階段。
私は、バンドの中では目立たない穏やかな性格の彼を嫌いじゃなかった。むしろ好意を持っていた。
二人で上った屋上には、月が出ていた。
屋上の手すりにもたれて二人で並んで月を見ていた。
歪な大きく欠けた月。まるで自分みたいだと思った。
大人になりきれない、でも、でも、もう子供じゃない自分。
まん丸になんてなりたくないけれど、欠けたままじゃイヤ。
不完全で、何ものにもなれない自分。
「福井の夜景も捨てたもんじゃないなs」
「ほうやね・・・」
小さな声で言った。
「ユーコはもう歌わないの」
「東京に行って歌手になりたいんだ」
思いきって言ってみた。なすすべもないのに。しばらく沈黙が流れる。
「あー今日の月はめっちゃきれい!」
沈黙を破って大げさな声で言った。涙が滲んで、本当はよく見えないのに。
「ユーコには東京は似合わないよ。可愛い奥さんになる方が似合っている」
その言葉がなければ、今頃どうなっていただろう。
今となって人生に後悔などないけれど、この建物を見て、そんな遠い昔の事を思い出した。
浜町での祝賀パーティが終わり、このまま電車に乗って帰るには、まだ、なんだか早い。もう少し思い出にひたっていたかった。
川沿いを一人で歩いた。足羽川は、昔と変わらない姿を見せてくれた。橋にともる灯りは、とても寂しく美しく、そして哀しく見えた。
一緒に月を見ていたその人は今はもういない。空に輝く小さな星になった。
見あげた空には月が出ていた。
丸くて大きな、十六夜の月だった。
優秀賞
「北府駅〜再会の雪道〜」
萩原 虎也(武生商工高校一年)
二学期の終業式からはやくも数日が経った。僕は、幼い頃から馴染みのある、北府駅に一人で足を運んでいた。手に提げたボストンバッグには数日分の着替えが、かついだリュックには、課題や暇つぶしの道具が入っている。これから両親の実家に両親より一足先に帰省するところだった。
事の経緯は、ちょうど四日前にふと、そう思い立ったからである。兄が成人し、一人暮らしを始めると、家には僕と両親だけになってしまった。大好きな兄の背中を追いかけて少し背伸びしたくなったのか。思い立った理由はあまりはっきりしてない。祖父母、そして年末忙しそうな両親からOKをもらい、僕は北府駅に向けて歩き始めた。
実家の近くのベル前行きの切符を買い、ホームのベンチに座りぼーっと線路を眺めていた。幼い頃に兄とよく電車を眺めた思い出がふっと脳裏に浮かんだ。兄は電車好きで、面倒見が良かったため、よく僕の手を引いて電車を見せてくれた。幼い頃は飽き性だった自分も、兄の話だけは何度聞いても楽しかった。
そうして思い出がフラシュバックするかのように、少しレトロなデザインの列車がガタン、ゴトンとホームに近付いてきた。僕もゆっくり腰を上げ、屋根でくっきりとマスキングされた白線の上に立った。周りはしとしとと雪が降っている。
「はぁぁ・・・」
と白い息をはくと、プシューという音と共に白をかぶった電車がホームについた。
車内は、老人が数人と下校中の高校生らしき人しか乗車していなかったが、その閑散とした雰
囲気は一人の僕にとってなんとなく居心地がよいように感じた。ゆったりと流れていく景色につられ、だんだん眠くなってきた。少し目をつぶると、あっという間に意識は流されていった。
ふと、聞き覚えのある声がしたような気がして、すっっと目を覚ました。
「次は、ハーモニーホール前、ハーモニーホール前」
心なしか、その声に兄の面影を感じ、運転席の方に目をやると、イメージよりほんの少し逞しいシルエットが、先輩らしき人と話しているのが見えた。兄だと確信すると、なんだか嬉しくなってきた。目の前の景色が少し鮮やかになった気がした。暗くなったスマホの画面を見ると。自分の口角が少し上がっていた。嬉しいな。
「次は、ベル前、ベル前。足元にご注意下さい。」
電車を下り、少し駆け走りで電車の前面に移動すると、制服に身を包んで、凛々しくなった兄の姿が見えた。いつもと同じ、きりっとした笑顔を浮かべて、そして、目があった。兄は少し驚いて、そしてまたいつもの笑顔で手を振ってくれた。そして兄と共に電車は次の駅へ向けて出発してしまった。僕は、兄と電車に後押しされたかのように歩き出した。白い息をはきながら、サクサクと小気味よく足音を立てて。
秀作賞
電車での思い出
柳生 隆明(越前市)
今から、3,4年ほど前に大雪が降りました。
そのときちょうど私は出張で金沢、和倉、富山に行く予定が、雪の影響で電車の運行に影響がありました。結局金沢までは行けたものの、その他は行けず、そのまま福井に引き返すことになりました。
しかし、福井駅まで引き返す途中でも電車は除雪等の都合上、よく停車し、通常であれば1時間弱の時間で着くところが、数時間かかって福井駅に着きました。確か、21:00頃は回っていたような気がします。
電車はその先は運行しておらず、私は妻に福井駅まで迎えに来てもらおうと思いましたが、家は越前市であり、雪の中福井まで出てもらうのは危険だと思い、たまたま運行していた福鉄に乗って帰ることにしました。
就職した自分が福鉄に乗るのは学生以来の久しぶりで懐かしく思いながら乗りましたが、状況下から席は満席で座ることはできず、出張のバッグをしっかり抱えながら扉に寄ってなんとか乗車することができました。
電車の中は、学生や同じような会社員、女性、年配の方様々の方が乗っており、皆さん移動手段が限られる中、動いている電車にすがって帰路につくことができる、というような顔をしていたように思います。
そんな中、ある年配の会社員が、自身の横に座って熱心に参考書を読んでいる学生(高校生かに見えましたが)に向かって大声を出しました。
「なんだ、お前は偉そうに!」
「参考書読んで何様のつもりだ!」
一瞬みんな注目したものの、すぐに目線をそらしました。その方は執拗に、
「勉強できるからって、偉いと思っているのか?」
「みんな疲れているんだ、お前は若いんだから席を譲るべきだろう」と。
なぜ大声を上げているのか理解できました。鮨詰めの電車の中で、多くの方が立っているのに、学生が席を譲らず、本を読んでいるのはおかしいだろうと。
その方は酔っていました。そしてしまいには、その学生の肩や頭を小突き始めました。
「危ない」と思いながら、みんなそこにいながら声をあげませんでした。
のちに、電車が止まった駅で、その方は降りていき、学生は解放されましたが、どんな心境だったのか。
自分もかつて学生で20年以上前にこの電車に乗り、同じように本を読んでいた。あの彼は自分だったかもしれない、と思うと、自分はどうしただろうか。
そして、その時乗り合わせた人たちに愛はあったのか。
自分に愛はあったのか。
久しぶりに乗った電車で、つきり、と胸に刺さった苦い思い出です。
秀作賞
にじ
大にし れい子(武生東小学校一年)
わたしは、とうきょううまれ、しずおかそだち。一ねんちょっとまえ、えちぜんしに、ひっこしてきた。おかあさんは、「コロナそかい」といっている。おとうさんは、とおくでおしごとをしているので、ひとつきに4日くらいしかあえない。
くもりや雨がおおいから、おかあさんは、「せんたくものがそとにはほせない」というけれど、わたしは、くもりも雨も大すきだ。この一ねんちょっとのあいだに、たくさんのきれいなにじをみられたから。あきの日の、えちぜんたけふえきのむこうにかかった、二本のにじは、わすれられない。ともだちといっしょにしゃしんをとってもらった。わたしのたいせつなおもいで。
ここをはなれる日がきても、わすれないたいせつなおもいで。その日までにおとうさんにも、見せたいな。あのきれいなにじを。
佳作
「青春を乗せてくれた福武線」
高田 紗羽(武生商工高校三年)
福武線電車は、私の青春をたくさん乗せてくれた。
春、部活帰りに西山公園へ行った。神明駅で一旦降りて遊び道具を買い、それを持ってまた電車に乗って西山公園駅で降りた。公園でのボール遊びは幼少期だったから楽しくて、春風に舞う桜を肩に乗せながら、四人で動画を撮り合ったのは良い思い出だ。
夏、同じメンバーで花火をした。神明駅で降りて映画を見た後に花火セットを買って、暗くなるまで待って花火をした。卒業したらできなくなるかなと、センチメンタルな気持ちになりながら、四人で動画を撮りあったのも良い思い出だ。
これからは、免許を取ったら車で移動することになると思う。でも、福武線電車を見る度にきっと思い出すのだろう。福武線電車が存在しているからこそ作られた、あの青春の日々を。
佳作
「大変お世話になった電車」
飯塚 朱音(武生商工高校三年)
私は毎日、北陸本線の武生駅下車後、福井鉄道の越前武生駅から家久駅まで電車で行く。高校に入学してからの三年間、私は毎日この方法で通学している。三年間福井鉄道を利用して思う事は、福井鉄道は本数が多く、通学にも買い物などにも便利だという事だ。私は主に福井鉄道を毎日の通学、テストで赤点を取った際の補習へ行く為に利用した。
実は私は、家族には隠し、誤魔化していたが、高校に入学してから二回、つまり毎年留年の危機を経験している。いつもテストが終わった長期休みは赤点を取った所為で、追試、補習を受け
る為に高校に行く事が多い。追試や補修は朝か昼に行われるが、福井鉄道は電車の本数が多く、どの時間に電車に乗ってもちょうど良い時間に高校に行けるのでとてもありがたい。私が通う高校の先生は、性格の悪い先生が多いので、私は何度も学校に呼び出され、その度に福井鉄道を利
用した。私は福井鉄道に何度もお世話になった。今でも福井鉄道への感謝の気持ちはたくさんある。
高校で留年の危機を経験し、資格の検定も不合格続きで、高校三年生の今も赤点ばかり取る成績が悪いわたしだが、何とか就職先は内定し、決まった。私は福井鉄道を高校三年間は通学に利用した。そして就職後は通勤に利用するつもりでいる。私の就職先は福井鉄道線の駅に近く、私は高校の頃とほぼ同じ方法で会社に通勤できる。
高校三年間を通学に利用し、社会人になっても通勤に利用する予定の福井鉄道には、これまでの感謝と、そして、これからもよろしくお願いします、の感謝の思いを伝えたい、と言った所である。
佳作
きたごえきのさくら
石川 しの(武生東小学校三年)
きたごえきにはとてもおおきなさくらのきがあります。
まいとしさくらがまんかいになる3がつには、ライトアップされていてとてもきれいです。おにいちゃんのスポしょうのおむかえのかえりに、まいとし、みんなでしゃしんをとります。
きれいにさいているさくらのきのうしろには、とてもかっこよくライトアップされたきたごえきがあり、まいとし、しゃしんをとるのがたのしみです。
ことしもきれいにさくのをまっています。
佳作
きたごえきのイベント
成田 結衣菜(武生東小学校五年)
私は小さい頃よくおじいちゃんに連れられて、北府駅に電車を見にきていました。散歩をするときの道の一つです。電車が通るたびに、「バイバイッ」と、手をふり、また次の電車を待っていました。
イベントでは、射的やボールすくいをするのが楽しみでした。今はコロナでないけれど、また、出来る日がくるといいです。
佳作
弟と電車
辻 湊人(武生東小学校五年)
電車はなぜ、電車が好きな弟がいるときにはこないのに、弟がいないときにくるのだろう。ふ
み切りの音が聞こえるといつもぼくは、弟がいたら喜んだだろうなと弟のことを思いながら、通りすぎるのを待っている。
佳作
むかえにいったおねえちゃん
白木 かのん(武生東小学校二年)
わたしのきたごえきのおもいでは、おねえちゃんをむかえに行ったことです。おねえちゃんは、ふくいの学校へ行っていました。パパと妹のののちゃんといっしょに、よくむかえに行っていました。えきでベンチにすわってでん車をまっているときは、何かわくわくした気もちがしました。でん車がついて、おねえちゃんが見えたとき、とてもうれしかったことが思いだされます。
佳作
でんしゃのいろ
まるやま はるの(武生東小学校一年)
きたごえきのふみきりがかんかんとなると、わたしのかぞくは「つぎはなにいろのでんしゃがくるかあてよう」とゲームをはじめます。「わたしはあおだとおもう」「パパはオレンジいろ」と、それぞれいろをかんがえて、じぶんのいろがあたると「やったー」とおおよろこびします。ふくてつでんしゃのいろはみんなをたのしくしてくれるので、まるでにじのようだとおもいました。こんどはきたごえきからでんしゃでおでかけして、かぞくのおもいでをもっとつくりたいです。
佳作
アイス
つかさき まこ(武生東小学校一年)
ようちえんのとき、コロナでながいきゅうえんになりました。
おかあさんが「あさなら人がすくないからおさんぽにいこう。」といったので、おにいちゃんと
いもうととおかあさんといっしょにでかけました。すこしとうかったけど、きたごえきまでいきました。あつかったのでアイスをかってもらいました。えきのベンチででんしゃを見ながらみんなでたべました。とてもたのしかったです。
佳作
あんぜんうんてん
せき しゅんすけ(武生東小学校一年)
ぼくは、かぞくとでん車にのってふくいまであそびにいきました。
えきまえのきょうりゅうをみたり、おみせにはいってらーめんをたべました。かえりもでん車にのってきたごえきでおりました。でん車は、くるまよりはやいのでだいすきです。でん車にのるときれいなけしきがたくさんみれるのでだいすきです。またのりたいです。あんぜんうんてんありがとうございます。
佳作
はやぶさ
いのうえ いつき(武生東小学校一年)
ぼくは、はやぶさにのってとうきょうえきから、一のせきえきまでいきました。ボディーのかたちは、りゅうせんけいのかたちでモーターがすごく大きそうに見えました。はやぶさのさいこうじそくは、やく320KMではしります。はやぶさはあかいこまちE6けいのでんしゃとれんけつします。はやぶさのいろは下はしろで上はみどりだし、まん中はピンクいろです。そしては
やぶさは、とうきょうからしん青森までむすびます。またはやぶさにのりたいです。
詩部門作品
福井県詩人懇話会賞
ふうせん
ヴォイットランド・エミリー(武生東小学校一年)
わたしはきたごえきの上に
ふわふあとふうせんが
とんでいるのを見た
優勝賞
冬に北府駅の桜を思う
竹内 彩夏(武生東小学校四年)
北府駅のよこには 桜の木がある
桜の花がさくと 北府駅は
もっときれいに見える
桜の花があると みとれちゃう
冬になったら桜はもうさかないー
でも北府駅があると
なんだか落ち着く
秀作賞
すきになった電車
大森 千あい(武生東小学校二年)
すきになった電車
電車は男の子ぽくて、
あまりすきじゃない
でも、きたごえきに行ったら
かわいい電車がたくさん
通ってて
電車がすきになった
きたごえきのおかげで
秀作賞
北府駅では
澤田 結菜(武生東小学校四年)
北府駅に家族で行った
待合室のベンチにすわる
少しつめたい
冬のベンチ
北府駅に友達と行った
ギャラリーでみんなと見る物
電車のパーツ
どの部分かな
秀作賞
電車の想い出
高田 孝子(福井市)
ブレーキの音を響かせて
停車場に電車が止まる
ドアが開くと同時に
側面の鉄板が階段となり
私は電車の中に入る
一列に座っている人の横へと
体を揺らしながら座ると
切符を売りに来た車掌さんの体も
リズム的な動きで
右に左に前後にと揺れている
降りる駅を逃さないよう
駅案内の声に耳を澄ます
駅で渡す切符は
手のひらで握られて熱くなっている
駅前の静かな風景の中
祖母が待っている家へと走り出す
田原町駅発武生新駅着の電車には
楽しかった思い出が詰まっている
佳作
冬の朝の始発駅
飯塚 富美子(越前市)
白く凍えた窓ガラスを吹き直し
前を向き 後を向き
左右を確認する
運転席で
ひとつずつ指さしながら
ひとつずつ点検する
そして帽子をかぶり直し
運転手の一日が始まる緊張と共に
電車は動き始める
乗り込んだ人達はマスクで身を護り
スマートフォンを眺めるひと
問題集を開くひと
単行本を読むひと
ねむりこむひともいる
それらの人を乗せて
電車の一日も始まる 心地良い揺れと暖かさと共に
この寒い冬の朝
ひとときの安らぎも乗せて
電車は動き始める
佳作
里帰り
大久保 円椛(武生商工高校二年)
今日は実家へ帰省する
朝の電車
年末なのに私が一番乗り
いつもは人が居るからしないけど
運転席の様子を覗き込んでみる
子供の頃 父にだっこしてもらい
目を輝かせて見たことを思い出す
父や母は変わらず元気だろうか
私が内緒で帰って来たら
驚くだろうか
懐かしい風景が向かい側の窓を
移ろっていく
聞き慣れた北府駅のアナウンスを
耳にしながらホームに立つ
両親の喜ぶ顔を想像して
胸がほんわり暖かくなった
佳作
北府駅の一年
三好 祷行(武生東小学校四年)
春きれいな桜が散ってしまう
夏 暑い
ホームの日かげの中すずしい
秋 はだざむい
ベンチがつめたい
冬 寒い じょせつ車両がはしる線路
佳作
外出自粛
高橋 大瑠(武生東小学校五年)
北府駅
小さいころから
乗っていた
しかしコロナで
外出自粛
いつか電車で
遠くへ行きたいな
いつか電車で
福井県中
回りたいな
佳作
ちょっと古い感じ
大下 まひろ(武生東小学校五年)
北府駅のちょっと古い感じは今までの活やくの印。
いつかなくなってしまうのではないか。
そんな気持ちが心をゆさぶる。
だがなくなることはない。
みんなが北府駅を愛しているから。
また明日北府駅を見に行こうと思った
散文部門 選評 笠嶋 賢一郎
武生商工会議所賞
あの夏の日 北西 妃都美 (越前市)
ある夏の日、筆者は、福鉄の電車に乗り、知人のお店のオープニング祝いに参加するために浜町に向った。途中の車窓から見る風景は懐かしいもので、青春時代の心時めくものでもあった。
筆者は、当時「シナモンベイビイ」というバンドのボーカルをしていて夢を持っていたが、一歩踏み出せずに今となってはほろ苦い思い出として残っている。誰しも青春は懐かしいものだが、なかなか当時の仲間に会っても素直に言い出せず照れ隠してしまうものだ。
そのあたりの描写が学生時代の友人や男友達の応対にもうまく表現されている。
その屈折した心もちが文脈の流でうまく表現されている。締めの言葉が良い。
「一緒に月を見ていたその人は今はもういない。空に輝く小さな星になった。見上げた空には月が出ていた。丸くて大きな、十六夜の月だった。」
多感な十代の揺れ動く心情がうまく描写された佳作である。
優秀賞
北府駅〜再会の雪道〜 萩原 虎也 (武生商工高校一年)
筆者は、両親の祖父母の住む実家に帰省したが、その交通手段として福鉄を利用した。
福鉄の電車には今は独立した兄の思い出が色濃く残っているが、偶然にも社内案内の声に聞き覚えがあり、運転席を見ると、兄の姿があった。兄は福鉄に勤務していたのだ。
会いたいと思っていた兄の登場のさせ方が意図的とは言え上手い。
下車駅の「ベル前」で筆者は降りたが、最後のエンディングが良いね。
「僕は、兄と電車に後押しされたかのように歩き出した。白い息をはきながら、サクサクと小気味よく足音を立てて」
秀作賞
電車での思い出 柳生 隆明 (越前市)
3〜4年前の大雪で自宅に戻るにはJRは運休で福鉄を利用したが、その時経験した苦い思い出を振り返っている。たまにある事であるが、下手をすれば傷害事件にもなりそうで、他人事とは思えない話だ。その時の心境がうまく描写されています。
秀作賞
たけふえきのにじ 大西 れい子(武生東小学校一年)
東京生まれで静岡育ちの大西さんは、1年前に越前市に引っ越してきたという。
越前たけふ駅の向こう側にかかった二本の虹は忘れられない。今は月に4日しか会えないお父さんにも見せたいという父親思いの心情が如実にあらわれ、素敵な一文です。
詩部門 選評 千葉 晃弘
福井県詩人懇話会賞
ふうせん ヴォイットランド・エミリー(武生東小学校一年)
エミリーさんは北府駅でのイベントで、ふうせんをもらったひとりだったのかな。そうでなかったとしても、いつもあたたかいきぼうを持った女の子なのでしょう。エミリーちゃんのふうせ
んへの思いは、子どもだけでなくおとなにもつたわって、きぼうをもたせてくれています。
優秀賞
冬に北府駅の桜を思う 竹内 彩夏(武生東小学校四年)
春には、北府駅のよこにはみとれる桜の木があることを、彩夏さんはよく知っているのですが、
冬には桜は咲いていません。その季節の移り変わりと、桜がない冬にも、北府駅は私たちを落ち着かせてくれるというのは、すばらしい
感性を持った子だと思われます。
秀作賞
すきになった電車 大森 千あい(武生東小学校二年)
「電車は男の子ぽくて あまりすきじゃない」と自分の思いをはっきり言っているのが、おもしろいです。それが、きたごえきに行って、「かわいい電車がたくさん通っているのを見て、電車がすきになった」とすなおに言っているのが楽しく読めました。
秀作賞
北府駅では 澤田 結菜(武生東小学校四年)
「少しつめたい 冬のベンチ」「電車のパーツ どの部分かな」など、誰と行ったかもふくめて、短い中に的確に表現されているのが良いと思いました。
秀作賞
電車の想い出 高田 孝子(福井市)
かつて何十年前の、電車と乗客の風景がよみがえってきます。福井市内の低い電停から電車に乗るには、側面の鉄板の階段が必要でした。これは、市内と郊外を走る福鉄電車だけのものでした。「一列に座っている人の横へと 体を揺らしながら座ると」とか、車掌さんの体のリズム的なうごき、切符は手のひらで熱くなっているとか。駅前の静かな風景や、祖母の待つ家へと走り出すというなど、読者にもこの電車への想いの中に連れて行ってくれます。。
短歌部門 選評 青山雨子
フクラム賞
駅で待つ私をまとったスカートがふわりと舞った視界には君
山木 優依(武生商工高校二年)
作者は好きな彼が駅に入ってきたのを見て、もう一度彼を見ようとくるりと廻ったのでしょうか。
この動作で彼は、おや? と思ったかもしれません。スカートがふわりと舞ったのは一瞬です。見えたのは彼の横顔か、俯き加減か、友達と笑いあっている顔だったのか。山木さんのスカートから見せる一瞬と、彼の一瞬のおや? が出会って、その一瞬後に、ふたりは他の乗客とともに普段の駅の風景に溶け込んでいってしまうのです。
彼の記憶にスカートは小さく残ったでしょうか。山本さんの一瞬と彼の一瞬が片鱗となって結びついたかどうか、それが山木さんの目蓋のなかでリピートされていくのが見えるようでした。
優秀賞
足そろえ君と並んで線路沿い好きの二文字を電車がかき消す
永宮 裕月(武生商工高校二年)
「足そろえ」とは、ホームの長椅子に座っているのですね。私はこの歌を読んで、高校生っていいなあ、と思いました。足をそろえて絵になるのは、やはり高校生が一番だと思ったからです。好きの二文字とは、どういう場面でしょうか。好きと声を発する、好きという動作を見せる、好きと心で言う。どれにしても好きだということは変わりないですね。ですが、その気持ちをホームに入って来る電車の音や、風圧や、駅に佇む人々によってかき消されてしまったのです。そうであっても、足をそろえていたということは確かであり、電車が発車してからもホームの椅子には二人のぬくもりがしばらく残っていたのだろうと思いました。
秀作賞
キーボが見れて幸せと言う孫も電車通学する歳近し
山下 美和枝(鯖江市)
キーボは、えちぜん鉄道が二〇一五年に導入したL型二車両の路面電車です。私もこの電車に乗ったことがありますが、他の電車と違うところは、席数が少なく車内がゆったりしていることです。高校生の通学時間や通勤時間帯には使用されないもので、市内を走っているのが見られるのは昼の時間です。窓が大きく取られていますね。車体のデザインや色に開放感があります。越前市たけふ菊人形、鯖江の西山公園や、福井の足羽山、福井市駅前のハピリンへ行くときに乗る
ととてもいい感じがします。お孫さんが成長しても、別の小さな子供たちが喜んで乗っていくのを目にしますとキーボはキーボのままであっても、子供の成長というのは、電車に乗っている間にも進んでゆくのだなということを感じさせました。
秀作賞
残されたこの駅通った思い出が春近くなりまた思い出す
高島 悠那(武生商工高校一年)
この歌を読んで、「思い出」という言葉を私はよく考えることになりました。この言葉は、どこにでもよく使われますね。使いやすくて、意味がすぐわかる、優しくて、差し障りがなく、そして言葉自体には個性がありません。よく見かける標語に、挨拶という言葉があります。「挨拶」を入れれば呼びかけの形になるというものです。思い出という言葉にもそれに似たようなところがあるでしょうか。
けれども、この歌にはそれとは違う質のものを感じました。思い出という言葉には、もともと時間が含まれていますが、時間というその言葉から感じる感覚の平凡さを感じさせていません。高島さんは高校一年ということですから、入学当時、電車から何かを感じたのだろうと思います。そして一年が経とうとしている今、すこし変わった自分と、一年前の自分とが重なって駅の中にいるのでしょうか。
俳句部門 選評 和田 てる子
北府駅を愛する会賞
貝寄せの風に煽られ行く電車 大辻 法亜(武生商工高校一年)
法亜さん、素敵な季語を勉強なさいました! 「貝寄せの風」は陰暦二月二十日頃に吹く西風で、貝を浜辺に吹き寄せる風という意味があります。そんな春のうれしさを込めながら、「煽る」とありますから、一輌か二輌の電車でしょうね、風の力も借り、泳ぐように走っていく。電車に「貝寄せの風」を取り合わせて、とても新鮮な句に仕上がりました。
優秀賞
起こされて飛び乗る日々や卒業す 三好 弘幸(越前市)
電車通学は大変ですね。いつもいつも親に起こされて朝食もそそくさと、電車へと一足飛
び・・・嗚呼ーー間に合った。そんな学生生活も、無事卒業した今となっては、青春のきらきらした思い出の一ページ。車内では素敵な人に、胸をときめかせたこともあったでしょう。息を切らせて、電車に飛び乗る姿が目に浮かび、素直な微笑ましい作品です。
秀作賞
雪しまき君待つ駅のとうさかな 佐々木 邦子(鯖江市)
駅にあなたを待たせている・・・早く行かなくちゃ、でもでもこの吹雪の中、足がもつれる。
普段は十分もあれば、駅に着けるのに。「遠さかな」の措辞に、焦る気持ちが溢れています。素直な表現の中に、ドラマを感じました。
秀作賞
ふみきりやかんかんなって雪ちらす 西野 みゆき(武生東小学校三年)
寒いとき、ふみきりでまつのはつらいですね。しんごうきが、かんかんなってしゃだんきがおります。そのときしゃだんきにすこしつもっていたゆきがふわりとまいちりました。くのなかに、かんかんのおとをだしたのが、とてもたのしいくにしました。
秀作賞
電車来るパンダグラフに氷柱提げ 舘 栄一(越前市)
電車に水柱が垂れている姿は見かけますが、パンダグラフにまで視線を及ぼされたが、さすがです。下五のフレーズ「氷柱提げ」は「氷柱垂る」と表現されがちですが、「提げ」が句に動きが出て見事でいた
川柳部門 選評 墨崎 洋介
第9回北府駅から広がる文芸募集の川柳部門には、小学生が1人1句、中学生無し、高校生は125人・385句、一般19人・40句、計145人・426句の応募がありました。昨年よりもやや少ない結果でした。しかしながら一般の方の応募が定着した感があり、作品も向上していますので、大変うれしく思っております。
大方の応募を占める高校生の句には若々しさと瑞々しさがありとてもよいのですが、やや類型的になっているのが惜しまれます。入選句から川柳の省略、比喩技法を参考にされるとよいと思います。川柳は季語が不要ですし、話し言葉でよいという特性があります。興味を持った素材を変わった視点から捉えるというのが川柳の目、心といってよいでしょう。さらにこれからも川柳に親しんでください。
福井新聞社賞
足ふんばる手には吊り輪と単語帳 尾崎ひとみ(越前市)
この句も学生時代の追憶の一句。誰でも体験したことのある出来事をユーモラスにつづってい
るのがいいですね。しかも、省略が利いてそれが素敵なリズム感になっています。作者は今も若人のような瑞々しさをわすれていない人ですね。それがすばらしい一句を生みました。
優秀賞
君と乗る鈍行電車は急行だ 青山 魅花(武生商工高校二年)
きっと好きな人と会話を楽しみながら乗る電車はあっという間に目的の駅に着いてしまうのでしょうね。その思いがストレートに表現されていて好感を呼びます。その残念な気持ちと、抑えながらのときめきがスピード感でもって表現されています。
秀作賞
雪降る日こない電車を君と待つ 三好 姫夏(武生商工高校一年)
しんしんと降る雪の朝、寒さをこらえながら遅れている電車を待つ心境を切ない恋心にうまくだぶらせています。きっと相手の彼とは少し離れた距離で、無言で電車を待ち続けているのでしょう。そんな絵が浮かびます。川柳はどちらかというと、ままならない人生、満たされていない人の味方です。
秀作賞
電車待ち兄と分けたモナカアイス 尾崎 仁郎(大虫小学校五年)
電車が来るのを待ちながら、お兄ちゃんに分けてもらったモナカアイス。お兄ちゃんとのお出かけにワクワクしている仁郎君の気持ちをいっそう高ぶらせてくれました。この時のモナカアイスのおいしい味が十分に伝わってくる句になりました。
2022年 《第9回 愛の物語・愛の詩》 入選表
形 式
|
散文
|
詩
|
短歌
|
俳句
|
川柳
|
(計)
|
応募作品数
(集 計)
|
小 29
高 3
一 2
34
|
小 45
中 1
高 7
一 3
56
|
小 20
中 1
高 326
一 35
382
|
小 111
中 1
高 186
一 44
342
|
小 1
高 385
一 40
426
|
206
3
907
124
1240
|
北府駅を愛する会賞
|
|
|
|
●
|
|
1点
|
福井新聞社賞
|
|
|
|
|
◎
越前市
|
1点
|
フクラム賞
|
|
|
●
|
|
|
1点
|
武生商工会議所
賞
|
◎ 越前市
|
|
|
|
|
1点
|
福井県詩人懇話会賞
|
|
〇
|
|
|
|
1点
|
優 秀 賞
|
|
〇
|
●
|
◎
越前市
|
|
5点
|
秀 作 賞
|
◎ 越前市
〇
|
〇 〇
◎福井市
|
◎ 鯖江市
|
〇
◎ 鯖江市
◎ 越前市
|
|
12点
|
佳 作
合 計
|
●●
〇〇〇〇
〇〇〇〇
14
|
◎越前市 ●〇〇〇
10
|
◎越前市
◎◎鯖江市
〇〇〇
●●●●●
●●●●●
20
|
◎◎鯖江市
◎越前市
●●● ◆
〇〇〇〇〇
17
|
◎鯖江市
◎越前市
●●●●
11
|
49点
|
71点
|
◎一般 17名(越前市9名、鯖江7名、福井1名) ●高校27名 ◆中学1名 〇小学26名
* 4月2日(土)予定していました表彰式は、コロナ禍で中止致します。
表彰状等は、児童学生には学校を通し、一般の方は郵送などで配布致します。
作品集 入賞者(学校)70冊 図書館 6冊 選考者 5冊 会幹事10冊〈計〉100冊
後援者(福井鉄道、福井新聞、商工会議所、県詩人懇話会、市教育委員会)9冊
越前市文化協議会
墨 崎 洋 典(男)sumisaki yousuke 会長 (脚本)
河 合 俊 成(男)kawai tosinari 副会長 (写真)
塚 崎 廣 行(男)tukasaki hiroyuki 理事長 (詩吟)
鶴 来 はつね(女)turuki hatune 副理事長 (日舞)
和 田 てる子(女)wada teruko 文芸教養部長(俳句)
田 中 純 子(女)tanaka junko 事務局 (剣詩舞道)
田 村 佳 子(女)tamura keiko (琴)
小 川 美 苗(女)ogawa minae (琴)
|
(選考委員) 北府駅から始まる 2022
墨 崎 洋 介 《愛の物語・愛の詩》作品集 NO9
和 田 てる子 令和四年三月二十五日発行
笠 嶋 賢一郎 編集・発行 北府駅を愛する会
青 山 雨 子 発行者 竹内 伸幸
千 葉 晃 弘 事務所 越前市国府二ー一二ー七
奥 出 美代子 電話 0778-24-2024
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北府駅イベントのお知らせ
第9回北府駅から始まる「愛の物語・愛の詩 募集!」 〜 駅と電車に残る思い出 〜
北府駅の駅舎に展示してある、俵万智のエッセイ。そこには、電車にまつわる彼女の学生時代の切ない思いが綴られています。
そんな電車での物語を、「言葉」に綴ってみませんか・・・・・。
賞
・北府駅を愛する会賞(1点) ・福井新聞社賞(1点) ・フクラム賞(1点)
・武生商工会議所賞(1点)
・福井県詩人懇話会賞(1点)
・優秀賞(5点) ・秀作賞(10点) ・佳作(数点)
募集要項
【形 式】 詩・短歌・俳句・川柳・散文などの形式は自由
【題 材】 北府駅・福武線電車、旧南越線、旧鯖裏浦線、電車に関する内容
【応募資格】 年齢・性別・国籍問わず
応募点数に制限なし(ただし未発表のものに限る)
出品料 無料 [応募方法] 北府駅に設置してある応募箱
または事務局へメール、FAX、郵送してください
いずれも、住所・氏名・電話番号・年齢・学生の場合は学校名、学年を明記のこと
【応募期間】 2021年12月1日(水) 〜 2022年1月31日(月)
【審査日】 2022年2月上旬〜中旬
【発表】 3月上旬とし入賞者にはハガキにてお知らせいたします
学生には学校経由でおしらせします
入賞者以外の方には連絡しないことをご了承ください
(選考委員)
墨 崎 洋 介 (代表)
和 田 てる子
笠 嶋 賢一郎
青 山 雨 子
千 葉 晃 弘
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「ふくぶせんフェスタ北府駅」開催します・・・・!
日時:令和3年10月31日(日) 午後1時〜午後4時
場所:福井鉄道福武線北府駅パークアンドライド駐車場
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ーー北府駅を愛する会創立10周年記念ーー
第8回北府駅から始まる「愛の物語・愛の詩 募集!」
〜 駅と電車に残る思い出 〜
受賞者発表 2021年(令和3年)3月1日
散文部門
武生商工会議所賞
上鯖江駅 吉田 雨美 (越前市)
優秀賞
もうからん電車 辻川 定男 (坂井市)
秀作賞
北府駅と傘 小松崎 有美(埼玉県所沢市)
初めて 北府駅から 渡辺 末子 (鯖江市)
佳作
ありがたき本数 飯塚 朱音 (武生商業高校二年)
福武線北府駅 山岸 文男 (越前市)
詩部門
福井県詩人懇話会賞
北府駅 齋藤 幸男 (大野市)
優秀賞
紺のハイソックス 宮澤 由季 (さいたま市)
秀作賞
北府駅 渕田 静江 (福井市)
途方に暮れた母 浜本 はつえ(越前町)
佳作
北府駅から 青山 茂樹 (千葉県松戸市)
お母さんと私 西 陽向 (武生商工高校一年)
いつもの朝 河合 翼 (武生商工高校一年)
電車待ち 山崎 ももこ(武生商業高校三年)
短歌部門
福井新聞社賞
真夏日にチリーンチリーンと風鈴が電車待つ僕胸が高鳴る
田中 綾人 (武生商工高校一年)
優秀賞
右斜め君がいること知ってから背すじ伸ばしてつり革にぎる
大沢 萌衣 (武生商業高校二年)
秀作賞
あなたの手電車で揺れるその度に触れる時間がとても恋しい
栗原 青空 (武生商業高校二年)
踏切に今なお竹の使われし昭和を残すしなる遮断機
野尻 茂信 (鯖江市)
佳 作
親戚の祭りへ行くと駅行けば俺も行くよと切符買う彼
加藤 信子 (越前市)
緑組祝勝会の写真には駅前食堂焼きそばの匂い
舘 栄一 (越前市)
ギリセーフ電車見つけて走ったがホームは逆で電車走り出す
西畑 晴哉 (武生商業高校三年)
目の前に座った君と目が合ってやばいと思い慌ててそらす
竹間 結菜 (武生商業高校二年)
ガタゴトン電車の音で思い出すカーネーションを買って帰る日
大崎 たいな(武生商業高校二年)
わかってる視線の先はあの子でしょ見たくないから
車輛を変える 前川 望愛 (武生商業高校三年)
ガタンゴトン毎日聞くその音に今日はなんだか助けられる
山田 和味 (武生商業高校二年)
息かけて曇った窓に好きでした君に届かぬ想いを込めて
山端 らむ(武生商業高校二年)
俳句部門
北府駅を愛する会賞
缶コーヒー握り暖とる朝の駅
舘 栄一(越前市)
優秀賞
通学の始まる駅舎燕来る
野尻 茂信(鯖江市)
秀作賞
思ひ出し笑ひする娘や春の駅
河上 輝久(大阪市)
秀作賞
教科書を開く待合室凍てり
岡田 有旦(越前市)
佳 作
鉄兜挙り雪掻き駅白し
水上 康男(越前市)
ふた車両揺れて揺られて初景色
三好 弘幸(越前市)
桜咲く表彰式の車椅子
五十嵐 一豊(鯖江市)
無人駅灯影寂しく虫すだく
草笛 雅也 (福井市)
子の描く春は空から大地から
嵯峨 和子 (鯖江市)
異常無し電車待つ間の缶ビール
加藤 信子 (越前市)
川柳部門
フクラム賞
北府駅春待つ僕ら出逢う場所
林 里緒菜 (武生商業高校二年)
優秀賞
無人駅君と私の秘密基地
玉川 真実 (武生商業高校三年)
秀作賞
ひと電車早いと違う顔に逢う
細川 武幸 (鯖江市)
発車ベル暗夜へ消える恋心
木戸口 梨華 (武生商業高校二年)
佳 作
会いたいとメールしながら乗る電車
笹木 咲里 (武生商業高校三年)
夕焼けに染まって降りる無人駅
村田 絹子 (越前市)
雪布団被る電車や保留線
舘 栄一 (越前市)
えきのなかあたたかいのはきみのせい
白崎 晴也 (武生商業高校二年)
北府駅愛情と雪降り積もる
玉村 菜摘 (武生商業高校三年)
夕立が君連れてきた北府駅
大森 菜央 (武生商業高校三年)
「上鯖江駅」
吉田雨美(越前市)
「高校時代の三年間は、毎日が小さな旅だった」
北府(きたご)駅の駅舎の中に有名な歌人が書いたエッセイの額がかかっている。
武生に住んでいた彼女は、武生から福井まで一時間かけて電車通学をしていたそうだ。毎日、ある駅から、足の悪い男の子をおぶった母親が乗ってきて、それを承知の他の乗客たちは暗黙の了解のうちにその二人の為に席をあけておいたという心温まるエピソードが書かれている。
実は私も、彼女と同じく高校時代の三年間、この福武線の電車に乗って通学していた。彼女よりも四年ほど前になる。
その頃はまだ南越線(昭和56年廃線)は、粟田部駅から社武生(国鉄の武生駅の反対側にあった南越線の始発駅)間を走っていた。だが、私の家から粟田部駅は徒歩では遠く、家の近くのバス停から福鉄バスで武生まで出て、福武口と呼ばれた武生新駅(現在の越前武生駅)から電車に乗り、高校のある上鯖江駅まで電車通学をしていた。
武生新駅には、朝、いろんな制服を着た学生が集まっていた。男子生徒はほとんどが五つボタンの黒の学生服だったが、女子生徒は今ほど多種多様ではないが、ブレザーの制服の高校もあった。セーラー服もリボンの色が違うので、「あの子は○○高だな?」と制服を見ただけでどこの高校かすぐに分かった。
武生新駅からは武生に住んでいる学生や、私のように旧今立町から通う学生が電車に乗った。逆に、鯖江や福井方面から武生高校に通う学生たちは西武生駅(現北府駅)で降りていたのだろう。紺のブレザーの武生高校の子たちとすれ違う事はなかった。
武生新から三つ目の駅に家久駅がある。(現在は「平成スポーツ公園駅」ができたので四つ目) 毎朝、その駅で、青い制服の武生商業高校の生徒が大勢と、二、三人の国立高専の男子生徒が降りる。商業の子たちはその鮮やかな青い制服が嫌いだったらしいが、中学も高校も、まったく同じセーラー服だった私は「セーラー服じゃなくていいなぁ・・・」と思っていた。
家久の駅を過ぎると、急に車内は静かになり、学生の姿はずいぶんと減る。日野川の鉄橋を渡り、電車は大きく左に折れ、鯖江の町に入ってくる。
小高い丘、王山のふもとに上鯖江駅(現サンドーム西駅)がある。
その頃の上鯖江駅は、大きさは今とあまり変わらないが、現在のようなプレハブ駅舎ではなく、もう少し風情のある木造の古びた小さな駅だった。
上鯖江駅からの乗り降りは、鯖江高校の学生がほとんどだったと記憶している。というか、その頃の私には、電車にどんな人が乗ってくるのか、どんな人が降りるのか、学生以外の人には関心がなく、よく覚えていないのだ。先の歌人のエッセイに出てくる体の不自由な男の子の親子とは、その駅ですれ違ったような気もするが、はっきり覚えてはいない。
学校が終わると、また、上鯖江駅から武生まで電車に揺られて帰る。福武線には急行と普通があって、各駅停車の普通は鈍行と言った。上鯖江駅には鈍行は停まるが急行は停まらなかった。時々、乗り遅れて、次の電車が来るまで、その小さな空間に、ぽつんとたたずんでいたこともあった。
上鯖江駅の中には、木製の備え付けのベンチがあり、外側にもベンチがあったと思う。そのベンチに腰掛けて、帰りの電車を待つ間、本を読んだり、友だちと話したりした。その思い出のベンチが今はもうないのは、なんだかとても寂しい気がする。
上鯖江駅から急な坂を登っていくと、坂の上に鯖江高校が見えてくる。今、歩いて登ると息が切れてかなり苦労する。よく覚えていないが遅刻しそうな時は大変だったのだろうなと思う。
鯖江高校は、王山を左手に建っていた。この山には弥生時代の古墳群(王山古墳群)があるのだが演劇部の発声練習の時に登ったくらいで、高校時代はまったく無関心だった。
私の通っていた中学校には演劇部が無く、高校に入るとすぐ、演劇部に入部した。高校二年生になると、美術部と放送部にも席を置いていた。
ひとつ年上の放送部の先輩と仲良くなったのは、夏の終わりの学校祭の頃だった。その先輩は家が学校から近かったので自転車か徒歩で通学していた。彼は校則違反ギリギリの長髪でフワフワと柔らかい栗毛色だった。黒髪の私はうらやましかった。笑うと白い歯がこぼれ、男らしいというより可愛らしい感じの男子生徒だった。
私は先輩たちに混ざり夕方遅くまで学校に残って学校祭の準備をしていた。やっと終わり帰る頃にはあたりは真っ暗で、虫の声の大合唱が聞こえていた。
玄関を出ると彼が言った。
「一緒に帰ろう。駅までおくるよ」
私は少しはにかみながら
「ありがとう」
と言った。
校門を出て坂を下り、二人並んで歩いた。
それから毎日、先輩は上鯖江駅まで送ってくれた。ある時は少し遠まわりをして、西鯖江駅から帰る日もあった。授業が早く終わった日は、西山公園まで一緒に歩いた。そんな時は下鯖江(西山公園駅)から電車に乗ることもあった。学校からはけっこうな距離だったと思うがあまり辛くはなかった。歩きながら二人はあまりしゃべらなかった。しゃべらなくてもお互いの気持ちはわかっていた。
私は中学生のころから、日記のような、ひとり言のような、思いつくままの言葉をノートに書いていた。そのノートを仲の良いクラスメートと交換したりしていた。
今の時代は大変便利になったと思う。
待ち合わせの約束をしようとする時「いついつ」「どこどこで」「何時に会おう」と手軽にメールで連絡できるし、「何時に駅に着く」「今着いたよ」「どこにいるの?」などと、瞬時にラインでやり取りできる。声が聞きたかったら自分の部屋に行って気兼ねなく話すこともできる。
その頃は、パソコンや携帯電話もなく、友だちや恋人とのやりとりは主に電話か手紙か、学生ならノートやメモを渡したり交換日記をしたりだった。夜、家の固定電話でとりとめのない話を何時間もして、しょっちゅう親に怒られたりした。
季節は夏から秋に移ろうとしていた。校舎の横の金木犀が甘い香りを放っていた。
そんな頃、私と先輩は、交換ノートをはじめた。交換ノートと言っても、私が書き連ねた文章を彼が読むというだけのものだった。ノートの内容は、その日の出来事や音楽の事、映画の事、好きな芸能人の事、将来の夢や自分の悩みについても時々書いていたかもしれない。まあ、一方的な思いや感想やくだらない内容だったと思う。今さらながら、先輩はよく読んでくれたものだ。たまに彼からの返事が書いてあると、とてもうれしかった。
校舎の周りの木々の葉がすっかり落ち、コートやマフラーが欲しくなる頃。
その日は、冷たい雨が降っていた。
ひとつの傘を二人でさして、いつものように坂道を下り、一緒に上鯖江駅まで急ぎ足で歩いた。
上鯖江駅に着くとすぐに電車がキキ―とブレーキをかけ駅のホームに入って来た。
「はい。これ。遅くなってごめん」
彼から交換ノートを返された。私はノートを急いで鞄にしまい、足早に電車に乗ると、いつものように「バイバイ」と小さく手を振る。私は電車の中から彼を見つめながら見えなくなるまでいつまでも手を振った。
武生新に着くころには、雨がみぞれに変わっていた。駅の横の道路側に福鉄のバス乗り場がある。電車の駅と比べ電灯がひとつか二つしかないので、薄暗く、おまけにとても寒かった。
その日は何故か、福鉄のバスを待つ間に交換ノートを開いた。
「もう会えないと思う」
いちばん最後の行に、彼の字でそう書いてあった。
「ええ、なぜ?」
「どうして?」
上鯖江駅ではあんなに優しかったのに・・・さっきまで微笑んでくれていたのに・・・
答えが聞きたかった。彼の口から聞きたかった。
「上鯖江駅へ戻ろう・・・」
私はすぐさまその足で福鉄のバスの停留所から隣りの武生新の駅に戻った。
しかし、電車は出た後で、もうそこには電車はなかった。
とつぜん世界が終わり、真っ黒な冷たい海に突き落とされた感じ。
ショックだった!
悲しくて悲しくて、泣いた。涙が次から次と頬をつたった。
今から思えばその頃の私は世界が狭かったのかもしれない。周りが見えていなかった。
大学受験をひかえた彼の状況を思いやる気持ちなどあったのだろうか?
自分の事で精一杯で相手の事は考えられなかったのかもしれない。
「もう会えないと思う」というのは「今生の別れ」という意味ではなく、大学受験が終わるまで「しばらく会えない」という意味だったのかもしれない。幼い私には自分の思いや感情を最優先して、先の事を考えることや、想像力が欠けていた。
そして、十二月もあっという間に過ぎ、年末になり、正月になり、学校が始まっても文字通り二人は「もう会えなかった」。受験生の彼はいよいよ忙しくなり、私は一人で電車通学を続けた。
あの交換ノートは、真っ白のままだった。
上鯖江駅。この駅に降りると、あの頃のしょっぱい思い出がよみがえる。
もうからん電車
辻川 定男(坂井市)
「もうからん、もうからん、もうからん」
えみねえちゃんが独特の節回しで歌うようにつぶやく。ぼくが、「なに、その変な歌」と聞くと、えみねえちゃんは得意げに答える。
「だって福鉄電車は、もうからん、もうからんと言って走るんだよ」
えみねえちゃんが言う電車の音とは、電車がレールの上を走るときの音のことだ。普通は、「ガタンゴトン」と表現するのだろうが、福鉄電車、特に鯖浦線の電車は、「もうからん、もうからん」と言って走るのだそうだ。まるで赤字路線と言っているようなもので、ずいぶんと失礼な話だ。でも、当時中学生のえみねえちゃんにはそんな気持ちなどさらさらなかった・・・・・・ように思う。
えみねえちゃんとぼくはよく福鉄電車に乗った。日常的に通勤通学で利用した、というわけではないが、折りにふれて利用した。ぼくの家の一番近い西田中駅まで二キロほどもある。家の近くにはバス停があり、福井まで行けるのだがぼくはバスに酔うので嫌いだった。それで二キロ離れた西田中駅まで歩いて行き、福鉄鯖浦線に乗るのだ。
織田まつりに行くのには、西田中駅から織田行に乗り、終点の織田駅で降りる。劔神社までの三百メートルの道を歩く。赤い欄干の橋を越えれば、すぐに劔神社だ。
たけふ菊人形に行くのにも福鉄電車だ。西田中駅から東に走り、水落駅で乗り換える。終点の武生新からは菊人形会場まで歩いて行く。織田まつりもたけふ菊人形もお昼には母ちゃん手作りのおにぎりを食べるのが楽しみだった。
そう、このとき母ちゃんや父ちゃんはいない。仕事が忙しくて一緒に外出することなんてできない。いつも中学生のえみねえちゃんが小学生のぼくの手をひき、ふたりで出かけるのだった。いつもいつも。
ぼくはえみねえちゃんに手をつながれるのがいやだった。えみねえちゃんはぼくの手を痛いほどぎゅっとにぎるからだ。今思えば、万一はぐれるのを恐れてぎゅっと握ったのだろう。
福井へ行くときは水落駅で乗り換え、北へ向かえば大都市福井に行けた。デパートの屋上には遊園地があり、飛行機に乗ったり、回転木馬に乗るのが楽しみだった。お昼には母ちゃんのおにぎりではなく、大食堂で食べるライスカレーが美味しかった。
えみねえちゃんが中学三年生でぼくが小学六年生の三月、いつものように二人は福井へ行った。いつものようにデパートの屋上で遊び、いつものようにライスカレーを食べた。いつものように電車に乗って帰ってきた。もう少しで西田中駅に着こうとしたときに、不意にえみねえちゃんが泣き出した。
「もうこんなことはできない。定男と二人で出かけるのは今日が最後だよ」
そう言ってえみねえちゃんは大声で泣いた。周りの人がこっちを見るほどの大声だった。ぼくはとっても恥ずかしかった。
えみねえちゃんは中学を卒業すると集団就職で大阪に行ってしまった。そうして二人で福鉄電車に乗ることはなくなった。
それから長い年月が去った。時代は昭和から平成になり、平成から令和へと移っていった。鯖浦線は廃線になってしまったが、本線は残っている。今日も多くの子どもたちを乗せて走っている。えみねえちゃんは七十歳の老人になり、ぼくは六十五歳以上の高齢者と呼ばれるようになった。二人とも元気だ。まだまだ元気だ。福鉄電車に負けないようにまだまだ走り続けるつもりだ。
今でもえみねえちゃんの声が聞えそうな気がする。
「もうからん、もうからん、もうからん」
あの言葉はえみねえちゃんが考え出したのだろうか。それとも昔から言われていたのだろうか。今度会ったときにえみねえちゃんに聞いてみようと思う。えみねえちゃんはきっとこう答えるだろう。
「そんな昔のこと、わすれてしまったよ」
それならそれでいい。えみねえちゃんと話ができるだけでいい。
北府駅と傘
小松崎 有美(所沢市)
越前で過ごした幼少期。今も忘れられないエピソードがある。その日は両親が出掛け、ばあちゃんが留守番をすることになっていた。
「ばあちゃん、いい?絶対に外に出ないでね」
出掛けに母が念を押す。それも無理ない。当時ばあちゃんは認知症で色んなことがわからなくなっていた。買い物に行けば帰り道がわからなくなり、警察やご近所さんの世話になることはしょっちゅう。そんなばあちゃんのため、両親が出掛ける時は家中に『出るな』の張り紙をした。こうするとばあちゃんは約束を守ってくれた。
しかし、である。その日私が学校から帰るとばあちゃんの姿がない。外は激しく雨が降っている。まさか。私はいてもたってもいられず、外に飛び出した。
するとどこからともなく救急車の音。もう嫌な予感しかなかった。ばあちゃんは生きている。そう信じた。いや、生きていてくれ。そう祈った。
けれど一時間探しても見つからず、警察に届けを出した帰りのこと。
「北府駅にいたってよ」
父が安堵の声をあげた。私たちは急いで駅に向かった。昭和レトロな木造建築の駅舎。木枠の窓ガラスに、むき出しの蛍光灯。その古びた木製のベンチにばあちゃんはいた。おそらく傘の使い方を忘れてしまったのだろう。傘を閉じたまま、頭から爪の先までびっしょり濡れていた。
「どうして出ていったのよ」
母が心配そうに、だけど強い口調でばあちゃんを咎めた。ばあちゃんはすまなそうに肩をすぼめた。
「もしかして、じいちゃんか」
父が言った。ばあちゃんは小さく頷いた。雨の中駅に行った理由がやっとわかった。ばあちゃんは雨が降ると傘を持ってじいちゃんを北府駅まで迎えに行っていた。この日も、やっぱり、そうだった。十年前に亡くなったじいちゃんのために。
私たちは急に黙り込んだ。ばあちゃんは認知症になっても、じいちゃんを想う気持ちだけは忘れなかった。傘の指し方を忘れても、傘を差しだす気持ちは忘れなかった。そんなばあちゃんを誰がせめられるだろう。
「さあ、かえろう」
私たちは駅舎をあとにした。さきまでの雨が、少しだけ、弱く感じた。
初めて 北府駅から
渡部 末子(鯖江市)
今から二十年ほど前のこと。
七才と五才の孫娘と武生菊人形へ見物に行った。秋晴れの中、会場内を見物し、遊具などでも楽しんだ。遅い昼食を食べた後、帰ることにした。
会場から歩いて北府駅へ。その道中の街並みが珍しくて、あちこち見ながら駅舎についた。殆どなじみのない駅である。それなのに武生新からの電車を待つ時間、何となく、ほっこり気分。二人の孫も珍しいものでも見るような目で駅舎の中をあっちこっち歩き廻っている。
そのうちに電車が来た。見ると、先客はなく私達三人の貸切電車だ。孫らは走って電車に乗り込んだ。坐る場所を探す必要なし。窓辺に沿った横長の座席だから。
電車が動き出すと、孫は窓から外の流れる景色を眺めている。
家久の駅で電車が止まった。乗客なし。
孫は運転台の後ろに移動。発車した電車はそのうちに日野川の鉄橋を渡り、上鯖江駅。ここでも乗客なし。運転手さんの後ろから、一直線の線路を眺めたり。退屈しないうちに西鯖江駅についた。
「降りるよ」と言うと
「もう降りるの?」と。
プラットホームに数人の乗客の姿が見えた。
名残り惜しそうに、仕方なく降りた二人。
電車が動き出すと
「バイ バーイ」と手を振り見送った。
「おばあちゃん また電車に乗りたいよう」
「また行こうね」
少し納得したみたいだが、名残りは尽きないようだ。
ありがたき本数
飯塚 朱音 (武生商業高校二年)
私は、中学校を卒業後、武生商業高校へ入学した。私は南越前町出身であり、JRの北陸本線の武生駅に降りた後、福武線の越前武生駅から電車に乗り、家久駅で降りて高校へ向かう。私は、高校一年から、この方法で通学している。福武線のありがたい点は、十五分おき位に、電車が走る点だ。JRよりも格別に本数が多い。実は、私は高校一年の時から、数学、商業科目の成績が思わしくなく、高校側から夏休み、冬休みに補習に来るよう連絡されていた。
私以外の他の者は楽しい長期休業を過ごしているようだったが、私は補習を言いつけた高校のせいで全く楽しくなかた。しかし、福武線には私の高校への憎悪をいやすような温かさがあった。私が補習に向かう時も、ちょうど良い時間に電車が動いているし、補習から帰る時もちょうど良い時間に帰ることができる。私は、福武線にとても感謝している。
今年の冬休みも私は補習に行くが、福武線をもちろん利用する。私に補習のない長期休業など訪れる気は全くしない。補習に行く為に福武線を利用している訳だ。高校側の私に対しての惨い仕打ちと理不尽の矛盾の多い対応には心底呆れた私だが、福武線には、そんな私を家久駅、越前武生駅に乗せて行ってくれる温かさ、優しさを日々感じている。
私は、最近高校の教師が悪魔に見えて、高校その物が死地の拷問部屋に見えている。福武線に、お礼を言います。いつも私を優しく、乗せてくれてありがとうございます。このご恩は一生忘れません。高校卒業後も結婚しても福武線を利用したいと思います。福武線への感謝と共に、これからもよろしくお願い致します。
福武線北府駅
山岸 文男 (越前市)
JR武生駅で、二人連れの女性から声を掛けられ”福武線北府駅”と書かれた紙片を見せられた。
「ここに行くには、どう行けばいいんでしょうか」と言う。若い二十代の女性と話が長くなるのも面倒と思い
「そこのタクシーに乗って行けば、基本料金で行けますよ」と答えると、
「少しまちを歩いてみたいんです。そんなに遠くないんでしたら、道順を教えて下さい」と言う。
この正面を真っ直ぐに行くと、総社大神宮の前に出ます。その神社の前の歩道を右に折れてニ十分程歩くと駅が見えてきます。そこが駅ですよ」
「ありがとうございます」帰りの電車まで三時間程ありますから、行って帰れますわね」と自分たちで確認するかのようにして歩き出した。私は、「気をつけて」とだけ言い、歩き始めた。駅前交差点の歩行者信号が赤であったため、自然に三人が一緒に待つことになった。少し間を埋めるためと思ったのか
「ここを真っ直ぐでいいんですね」と聞く、
「そうですよ」と一言返す。すると
「ここは、おそばがおいしいんですか」と聞いてくる。
「ええ、一応おいしいということになっていますけど・・・食べてみますか」と誘う。
「案内して頂けますか」と弾むような声となる。マスクのため表情はわからないが、喜んでいるように見える。
「じゃあ、そこの店にいきましょうか、結構な味の店で、私も時々食べますよ」と”高瀬屋“と書かれた看板を指で示した。
「でも、時間がなくなりそう」とためらいをみせるので、
「食べてから、タクシーで行って、帰りは歩いて戻ってくればいい。それにそばくらいならボクも付き合いますよ」
「そうして頂けると助かりますわ。是非、お願いします」
店に入ると、幸い四人掛けのテーブル席が空いていた。二人にはおろしそばの大を、私はラーメンライスを注文する。すると
「面白い方ですね」と笑うので、
「ラーメンもそばの種類です」と返す。
「普段は、もっと混んでいるのに、意外に空いているのは珍しいですよ。ついてますね」と言い、マスクをはずす二人を見て、
「マスクをとっても美人ですね」と言うと、「本当ですか」と率直に喜ぶ姿に、周囲も華やぐ。タイミングよくそばの方が先に運ばれてくる。店主自らである。これも珍しい。
「いつもと違って、早いんだね」と冗談めいて言うと
「若い女性の方だから」と軽妙な口調で言うので、周りの客からも笑い声が起きた。
「ここの出汁は少し辛いから、気をつけて」と言うと、二人は一瞬、戸惑ったように見えた。
「ああ、すまん。この薬味を適当に入れて、そこにその麺を入れて食べればいいんです。どうぞ」と言うと、ためらいがちに一口入れた。そして「おいしいですわ」と交互に声を出す。
「それはよかった。ここは駅前だけに一見客が多いこともあって、それ相応の味で、有名なお店です」そしてついでに
「それから、そばは音を立てて食べるのが通になっていますから、遠慮せずに音を立てて食べて下さい」
「そうなんですか」と言うと、二人は音をたてて“おいしい”と言い食べていた。
?
店を出て、一旦、駅のタクシー乗り場に戻り、北府駅に向かった。タクシーの中で、
「あのお店の方、面白い方でしたわ。お店を出る時、音を立てて食べてもらってありがとうと言われたんです」と笑いながら言うので、
「いつもあんなこと言う雰囲気じゃないのにコロナで、店内が少し緊張していたこともあったのかな」と言い、さらに
「ここの県は感染者が余り出ていないだけに余計、神経質になっていることもあって・・・・特に、県外からの方にはね」
「それは感じますわ。今のお店でも、あなたがいなかったら、私たちだけでは入れなかったと思いました」
「そんなことより、なぜ、この時期に来たの」
「何も、そこまでとは思ってなかったんです。それに私たち四月からは大学院に行くので、就活はしなくていいので、近場でと思い来たんです。でも、ホテルのフロントでもピリピリしたことが感じられたので、宿泊はせずに今日、帰ることにしたんです。
「ついでに聞くけどなぜ福武線北府駅なの」
「駅の方に聞いたら、さきの紙を渡され、このまちの人と思われる方に案内してもらったらと言われたんです」
「それで選ばれたと言うわけですか。光栄です。最初は違和感があったけど、はっきりしてよかった」
「すいません」と二人は頭を下げる。
「あやまることはないですよ」と言っているうちに、交差点に着いたので、
「赤信号だから、ここで降りましょう」
?
「この駅は、この付近に住む人がたちが『北府駅を愛する会』を立ち上げて、いろいろ盛り上げに協力している駅なんです。さらに、ここを運営している本社や車両の整備基地もあり、マニアには人気のスポットでもあるんです。
それから、ここは昔、国府が置かれていた土地で、その北の方だから『北府(きたご)』という地名と聞いております。ボクはむしろ『きたふ』と呼んだほうがいいという意見に賛成していますけど、少数派です」
「そうなんですか。最初私たちもどう呼ぶのかなと考えましたけど、地名はおもしろいですね」
青信号を渡ったところで、
「ボクは、この先の道を・・・いま、向こうに車が走っているのが見えるでしょ。あの道を五十メートルばかり行ったところにある喫茶店に行きますから、後で、よかったらそこに来て下さい」
「一緒には、ご覧にはならないのですか」と不安気に言う。
「三十分もあれば充分です。小さな造りですから、いま以上の説明は出来ませんので」
「でも、何かあるんではないでしょうか。折角来たんですから、これはというのが・・・」
「まあ、強いて言うなら、ホームに出られて電車の入ってくるところを見れたらいいですよ」
「そうしてみますけど、何があるんですか」
「いい風が吹いてくるんですよ。それに浸るというか、詩情を感じるんです。そう心の風を感じさせてくれますよ。きっと紹介された人も、そう思っていたのかもしれませんよ」
「それは本当に楽しみですわ。是非、感じてみたいです。では後ほど、喫茶店で」と二人は駅舎に向かって歩き出す。
(絵になるな)と感じつつ、私は西に向かう。
?
「ホームで感じてきました。本当によかったですわ」
「私は、映画に出てくる『駅』の一シーンを浮かべていましたの 雪も降るんでしょ」と二人がそれぞれに言葉を出した。
「ここのコーヒーおいしいですよ。本場というか、特徴ある豆で出していますから、今日はエクアドルらしいです。それを注文しますよ」と半ば強制するようにして注文をし、沈静化させた。そして話を戻す。
「県外から来る女性の中には、駅をもっとメルヘン調にと言う人も多いらしいけど、お二人はどう思った?」と問いかけると、
「私たちは、いまのままがいいと思いました。その方が、歴史を感じますから」
「あのホームで、これまで多くの人間模様があり、時には青春の一幕の場でもあったみたいです。それだけに、振り返る場としても残すには、いまのままがいいと思います」
「そうでしょうね。私たちはいつも満員電車でしたから、とてもうらやましいですわ」
「踏切を半円描いて入ってくるのがたまらないと、特に子どもには人気があるようです」
「そう思います」
「大人には、駅を出ていく電車に『別れ』を感じさせてくれます。ボクも好きなんですよ。一緒に乗って行きたいのに、見送ってしまうシーンを浮かべて、涙が出そうになります」
「だから、ご一緒されなかったのですね。わかりますわ」
「ホームから交差点までの空間も素敵なんです。特に桜が咲きますと、また別の感情が湧いてくるのです」
「ここに来られて、よかったですわ。本当にありがとうございました」とあたまを下げた。コーヒーが運ばれてきた。それを機に話題は移ったs。
「ところで、このまちは以前、武生(たけふ)という市と聞きましたけど・・」
「うん、いわゆる平成の合併で、いまの越前市となったんだけど、いまも、愛着を持っている方も多いのが本当のところです」
「私たちからすると、おもしろい地名です。どういう由来から来たんですか」
「興味あるの、少し時代が遡るけど、いい?」
「かまいませんわ、私たち古代史に興味がありますから」と二人で顔を見合わせて微笑んだ。エクボが可愛く感じられた。
「この地名は、古代の歌謡「催馬楽」に納められている『道口』に“道の口、武生の国府に・・・”とあることから武生をとったと聞いています」
「紫式部も、ここに来たと言われているそうですね」
「そう、一年ほどでしたけど。でも、式部が生涯でたった一度、都を離れた地としては、その方面では、有名だそうです」
「そうらしいですね」
「そのこともあって、紫式部公園も出来ていますよ」
「この次は、是非、そこも行ってみたいですわ」
「今度、ゆっくり来てください。なんならご案内しますよ」
「本当ですか。じゃあ予約お願いします」と言い、私の住所と携帯番号、二人の携帯番号を交換した。
「もう、行かなきゃ間に合いませんよ」と立ち上がると、いつ来たのかわからなかったが、一人、入り口の席でコーヒーを飲んでいた男が立ち上がった。十年振りくらいになる高校時代の同級であった山岡であった。
「そんな美人二人を歩かせるなんて失礼だ。俺が駅まで送って行くよ」と言うので、
「まあ、悪いことは出来ない性格だから、乗せてもらっても心配はないですから、迷惑でしょうけど乗ってやって下さい」と任せることにした。二人も
「お世話になります」と素直に従って車に乗り込んだ。
「じゃあ、頼む。というほどの関係ではないけど」
「わかったよ、またな」と車は発信した。
(歩いていたら間に合わなかったな)
北府駅
齋藤 幸男 (大野市)
駅には いろんな人が来る
旅に出る人を見送り
旅から 戻って来た人を迎える場だから
孫を迎えに爺ちゃん
昼すぎから雨が降り出し
孫は傘なしで出掛けたから
婆ちゃんだって同じ 孫を待つ 来てる
美しく 優しい光景だ 温かみを感じる
爺さまと婆さまが いつのまにか
近づいて 話してる 孫のことらしい
寒いのう 朝はめっぽう空色がよかったが
最近は 何でも急変するから
困ったもんじゃのう こんなことになって
学生が 降りて来た
走って 家路に向かった 速い 雨の中
ベタベタになったことだろうが
慣れているらしく どんどん走った
少女も走った バランスを崩して
倒れそうになったが 街角で姿が消えた
土方らしい人 会社員らしい人
買い物に行くらしい主婦
二人連れだって行く 若者もいる
見ていて ほほえましい 平和だ
駅に来て 片隅で人々を観察していると
人生の裏と表 善と悪 美と醜も
正確に見てとれる あきない
駅とは そういうところだ
北府駅で じっと人の動きを見た
皆 自分の目的に向かって ここに来る
興味はつきない 一時間人を見ていた
来る人も 去る人も
乗る人も 乗らない人も 皆目標を持つ
駅とは そういう人の集まるところ
俺は その情景を見に行った
見ていて ひとつのことを想い出した
離婚して 生まれた東京へ戻る
若き三〇歳の女性 美しい女性
何故 東京へ戻るのか
夫に 追い出されたのだという
君は 何も悪くない 帰るな 居ろよ
私は忠告したが
夫に「二度と顔も見たくない」と言われ
決心して 実家に帰るのですと言う
なんと悲しい話ではないか
東京から 寒い福井に嫁してきて
三年で「別れようと」などと
どうなっていたんだ 君たちは
我慢してやって来ていたんです
自然の美しい 人情の厚い人たちがいる
この人たちの別れだけが 私にはつらい
そう言い残して彼女は福井を去った
おしい人物を 福井は失った
そう思ったが
決着した彼女の心に 変心がないと知り
涙で彼女を 見送った もう三〇年前
片時も その時のことは忘れない
駅だ 駅は 人との出合い 別れを
毎日 繰り返している
いい所でもあり 記憶に残したくない所でもある
この駅は 北府駅ではないから
イメージ・ダウンになりはしまい
しかし 駅には
様々 雑多な悲哀がひそんでいる
必ず 秘んでる
そう思いながら 駅前を通る人を見た
彼等だって 目的を持って 動いてる
駅に来ると 面白い
いろんな 場面を思い出す
北府駅の周辺を 巡り見た
家並みも良い 住み人のない家もある
だが人々には この駅が必要で毎日来る
思い思いは違っても
一寸した駅片隅の花びらが
心を やつしてくれる
線路のむこうを見た 日野山が見える
仏形をした山として 知られる山だ
手を合わせ 自分の生への感謝を表す
あの山のように いつまでも
おだやかに 私は横たわっていたい
そんな願望が いつもでる あの山を見るたびに
北府駅は そんなことを願わせる所にある
山が見え 来る人 去る人を 心底から
思いを寄せて さよならを告げる
さよならだけでなく
いらっしゃい ようこそ うれしいは会えて
こんな駅なのだ
紺のハイソックス
宮澤 由季(さいたま市)
毛玉のついた黒いタイツが、紺のハイソックスに変わっていた。
「来週から自電車通学するんだ」
粉を吹いた膝を撫でながら君が言った。
夏にハードルでつけた傷がすっかり消えていて、僕は車窓に目を移す。
僕らの青春より少し遅いスピードで、景色が通り過ぎていった。
また春なんてものが来た。
僕から君を奪う春。
朝の挨拶と、ひと駅分の会話を僕から容赦なく奪う。
春が過ぎて夏が行き、秋が半分去ったころ
またこうして君と同じ電車に乗れるだろうか。
君に進路も聞けないまま、18の冬が終わろうとしている。
近づく駅舎を眺めながら、僕は「へぇ」とだけ言った。
ホームに到着すると、「また明日ね」と君は手を振った。
揺れる制服のスカートと朱色のマフラーが小さくなる。
昨日よりも心地よい風が頬を撫で、僕はどうしようもなく春を感じた。
この恋は、ここへ置いて行こうか。
街に北風と雪がやってくるまで。
北府の駅舎に置いていこうか。
また僕らが電車に戻るまで。
北府駅
渕田 静江(福井市)
名前からのイメージは
北海道の雪の原野を連想する。
北府駅に初めて降り立ったのは
桜の花びら舞う四月の終わり。
それも今からかなりの前の事。
どこかしゃれた建物とは違い
駅舎は暖かい木造のレトロな感じ
そしてどこの駅舎もそうであるように
誰もいない駅舎の中を
花冷えの風が抜けていった。
寂しさに物言わぬポスターと
ただただ語るのみ
ガラスケースに昔活躍した
道具類が整然と並んでいる
時折薄日に反射して美しく光る
こうしているだけですべてが
忘却の彼方にこみ上げる思いは
北府の駅に来てみて
優しい気持ちになれた事
現在はどんな風になっているのやら
世の中あまりに変わりゆく中
北府駅よそのままでいて欲しい
またいつかきっと会いにいくよ
必ず会いに行くつもりでいるから
ほんとは今スグにでも行きたいが
体調を崩してしまいその上
コロナが蔓延しているので
外出は許可がないと駄目なのです。
今行けなくても
北府駅は待っていてくれる。
きっと今日も優しい顔でお客さんを
見送り、出迎えて居る事を思う。
途方に暮れた母
浜本 はつえ(越前町)
あの日突然死体で戻ってきた
父のかたわらで母は途方に暮れた
朝元気で仕事に出て行った身体が
もの言わぬ屍となって運び込まれて来たのだ
二人の幼い子どもと
老いた義母を抱え
二十五歳で母は後家さんになってしまった
泣きあぐねる暇もなく
どう葬儀を執り行ったのか
どう祀ったのか記憶が定かでないうちに
母は現実の時を進めなければならなかったのだ
朝起きていくと洗面器いっぱいの血を吐いた
祖母の看病を母がしていて
病床の中で弱々しく私の名前を呼んでいた
祖母も亡くなった
その辺りの場面をおぼろげだが憶えている
またしても途方に暮れた母は
三歳の私と一歳になったばかりの弟を連れ
電車で福井から武生に出て
そこから舗装されていない道をバスで
故郷の越前へ戻った日のことも
何となくだが昔の映像でよみがえってくる
進行する車窓から
線路わきの電柱が後ろに
後ろの方向へ次々と飛び去り
木々も 家々も
田も畑も現れては飛び去る風景を
無邪気に窓に顔を押し当てて
飽きもせず眺めていた私
今後の不安で圧し潰されそうになる思い
弟を抱きながら押し黙り座っている母を
気づかう街などまったく知らずにいたのだった
あれから随分時代も流れて行ったが
電車の窓から通過して行く景色を眺めて過ごすのが
いまでもひどく好きだ
北府駅から
青山 茂樹(千葉県松戸市)
乗客が降りてゆく
北府駅はさびしい顔で送り出す
乗客が乗ってくる
北府駅はうれしい顔で出迎える
雨の日も 風の日も
ずっとその場にたたずんで
喜びと悲しみが交差するその駅は
どれほどの人生を乗せたのだろう
北府駅は誰の人生も語りはしない
ただ見送り 出迎える
でもあなたの あなたの人生だけは
ゆく冬 くる春でありますように
お母さんと私
西 陽向(武生商工高校一年)
お母さんと
初めて電車に乗ったあの日
ホームと
電車の間のすきまがこわくて
そんな私を見たお母さんは
手をつないで乗ってくれたね
少し大きくなっていて
今度は
一人で乗ろうとしたら
次は お母さんから
「手を、繋いでいいんだよ」
って言った
私は にっこり笑って
「ありがとう」って言って
お母さんの手を握った
いつもの朝
河合 翌(武生商工高校一年)
毎朝電車にゆられながら
通学していると
いつも君がやって来る
私たちはいつも
同じ場所に座り
話すことなく
お互いの目的地へと
たどりつく
いつか話してみたいと
思いながらも
少しの勇気が出ず
今日も私たちは
一言も話すことなく
車内での時間を過ごす
電車を待つ
山崎 ももこ(武生商業高校三年)
誰もいない駅に二人ぼっち
静かに雪が降り積もり
寄り添う二人の笑い声が響く
屋根につららができるくらい寒いけど
繋いだ手と心は暖かい
散文部門 選評 笠嶋 賢一郎
武生商工会議所賞
上鯖江駅 吉田 雨美(越前市)
上鯖江駅。この駅に降りると多感だった高校生時代のしょっぱい思い出が蘇る。
初恋とも覚える高校生時代の淡い純真な思い出が交換ノートをツールとして生々しく描かれていて共感を呼びます。駅は出会いと同時に別れを誘いますね。
優秀賞
もうからん電車 辻川 定男(坂井市)
えみねえちゃんと僕はいつもふたりで西田中駅から電車に乗り、武生菊人形や織田まつりに出かけ、時には福井まで遠出しデパートで食事し遊園地で遊ぶのが楽しみだった。ある時、えみねえちゃんが大阪に集団就職することになり、別れが来た。それから長い年月が流れ、二人は高齢者になったが、今でもえみねえちゃんの昔口癖だったあの声が聞こえそうな気がする。「もうからん、もうからん、もうからん」姉弟愛のじわりとするいいお話だ。
秀作賞
北府駅と傘 小松崎 有美(所沢市)
認知症になったばあちゃんが、亡くなったご亭主にいつものように北府駅に傘を持って迎えに行った時の思い出が、孫だった作者の目を通してビビッドに描かれてている。ばあちゃんは認知症になっても、じいちゃんを想う気持ちだけは忘れなかった。傘の差し方を忘れても、傘を差し出す気持ちは忘れなかった。そんなばあちゃんを誰が攻められようか。実にいいエピソードです。
秀作賞
初めて、北府駅から 渡辺 末子(鯖江市)
孫娘二人を連れて武生菊人形を見学した後、北府駅から電車に乗った時の思い出を、孫の喜ぶ姿を眺めながら回想するというほほえましい情景を描いている。微笑ましい小品だ。
詩部門 選評 千葉 晃弘
福井県詩人懇話会賞
北府駅 齋藤 幸男(大野市)
駅には、乗り降りする人あり、迎える人がある。そして、一人一人の人生の姿がかいま見られる。三十年前の東京の実家に帰る、若い女性の想い出もある。
作者は、駅に居ながらにして、人生を見て楽しんでいる。雨が来て、孫を迎えに来た、爺さま、婆さま。駅のホームからは、仏の形をした名峰が望める。世界が望める。自由自在の境地である。
優秀賞
紺のハイソックス 宮澤 由季(さいたま市)
駅と電車を素材にした、僕と君、春、夏、秋と季節が移り、青春の心が移る。
その中で、「黒いタイツが、紺のハイソックスに変わり」夏にハードルでつけた傷がすっかり消えて」「揺れる制服のスカーツと朱色のマフラー」というように、季節と心の揺れを、うまく描いている。
秀作賞
北府駅 渕田 静江(福井市)
ありのままの北府駅を、見事に描き切っている。「木造のレトロな感じ」「駅舎の中を 花冷えの風が抜けていった」「世の中あまりに変わりゆく中、北府駅よそのままでいて欲しい」コロナが蔓延する中でも、北府駅は優しい顔で、出迎えてくれる。
秀作賞
途方に暮れた母 浜本 はつえ(越前町)
二十五歳で、後家さんになった母、病弱の義母の介護をしながら、三歳の私と一歳の弟を育てた。電車で福井から武生へ、舗装の無い道をバスで越前町に戻った。「今後の不安で圧し潰されそうになる思いで 弟を抱きながら押し黙り座っている母を 気づかう術など全く知らずに」 車窓を眺めていたのだ。
短歌部門 選評 青山 雨子
福井新聞社賞 田中 綾人 (武生商工高校一年)
真夏日にチリーンチリーンと風鈴が電車待つ僕胸が高鳴る
電車の駅に風鈴が吊るされていたのでしょうか。電車が入ってくれば風鈴の音はかき消されてしまうのでしょう。電車を待っている間にふと耳にした風鈴の音が、静かな駅舎やホームを想像させます。「チリーンチリーン」と普遍的に表現された言葉が歌の奥行きを導いていく作品で、風鈴の音で作者の心が澄み渡っていくというのではなく、「高鳴る」と、対照的に広がっていくところが若々しい青年高校生を感じさせました。ただ、「風鈴が」としたのは、風鈴の音から感じる余韻を表現したのでしょうが、この場合、「電車待つ」の主語と取られてしまうかもしれないと思いました。短歌は一行でひと息に詠むものですから、そこだけが小さくマイナスになりました。
優秀賞 大沢 萌衣 (武生商業高校二年)
右斜め君がいること知ってから背すじ伸ばしてつり革にぎる
「右斜め」と、最初に書き出すところがシャープだと感じました。「君」は座席に座っていたのか、それとも電車内で立っていたのか歌には書かれていません。でも、立っていたのだろうと私は思いました。「君」はつり革を握っていたか、ドア近くの手すりにもたれていたのだろうと――。「背すじのばしてつり革にぎる」というところから、二人の間の視線や視野の高さに共有があるのではないかとこの歌から感じたからです。実際は違っていたかもしれません。それでも良いのです。また、ここには書かれていない「制
服」が私の頭に浮かびました。女子高校生の制服姿を最も凛々しく見せるのは、背筋を伸ばすということだとこの歌を読んで改めて思い出したのです。それらをひとまとめにして女子にしか書けないすばらしい作品だと思いました。
秀作賞 栗原 青空 (武生商業高校二年)
あなたの手電車で揺れるその度に触れる時間がとても恋しい
わたしはこのような歌も好きです。素直という特徴は若さを持つ人にあって、特に輝くものだと感動しました。あなたの手が電車で揺れているということを発見した作者は、彼の手に実際に触れることができるわけではありません。電車の揺れと共に揺れる彼の腕は、きっと高校生らしい長くのびた腕だったのでしょう。詩歌の場合、書かれていないことが作品を膨らませます。「あなたの手」について、短歌という限られた文字数の中で、この作品は書いていないことを書くことができていると思いました。書かれていないこととは、彼の腕の長さや太さ、陽に焼けているかいないかなどですが、この歌では「手」という言葉でそれらを包括しています。「手」についてのイメージは、読み手それぞれのものになることで共感する人が多く生まれます。そして、「とても恋しい」と結ばれた言葉の響きが、日本伝統の和歌の響きを感じさせました。視覚的な技巧を用いず抒情で表しています。それがとてもよかった。このような作品がこれからも高校生から生まれることを願っています。
秀作賞 野尻 茂信 (鯖江市)
踏切に今なお竹の使われし昭和を残すしなる遮断機
踏切の遮断機が竹だったと書かれたこの歌を読んで、そうだったかもしれないと思いました。竹からプラスチック製に変わったばかりの頃、遮断機は、踏切りには立ち入らせないという意志のような固いまっすぐのものだったように思います。事故を防ぐためだと思いますが、誤って線路内に入ってしまった人や車を助けるためには竹のようなものの方がいい場合もあるかもしれないと思いました。「遮断機」と結ばれたこの歌から、私はこのようなことを私は考えてしまいましたが、この歌の本来は、昭和から現在の時間の流れが漂う美しい作品です。線路を、時間通りに走りぬけていく電車を眺めている作者の視線がふと遮断機に移り、竹を使ってさまざまな道具を作っていた時代を思い出させたのだろうと思いました。電車の揺れや線路のカーブ、車窓から見える自然の風景は柔らかなものです。その電車をめぐる歌に「踏切」「遮断機」という違った角度からの風景を捉えた作者によって、「竹」という言葉がこの歌の欠かせない仲間となって加えられています。作者はこんな細かなことを考えて歌ったわけではなく、おそらく頭に浮かんだままを自然に書いたのではないでしょうか。そのようなことを感じさせるのも、この歌の香りある味わいです。
俳句部門 選評 和田 てる子
北府駅を愛する会賞
缶コーヒー握り暖とる朝の駅 舘 栄一(越前市)
「朝の駅」は多分北府駅でしょう。北府駅は無人駅ですから、待合室に暖房はありません。 それにしても寒いなぁ。そうだ駅には自動販売機があるぞ。早速温かい缶コーヒーを買って、湯たんぽのごとく握りしめます。いやぁ!温かい!何気ない一コマですが、素直な表現に無駄がなく、無人駅の朝の情景がよく伝わりました。
優秀賞
通学の始まる駅舎燕来る 野尻 茂信(鯖江市)
さあ、この駅から新しい学生生活の第一歩が始まるぞ。いい先生や、生涯の友に出会えるかな?わくわくです。そこへ朗報を伝えるかに、燕が舞い込みます。学生生活も悲喜こもごも。しかし作者は、進みゆく学校に、ただただ大きな期待を寄せているのでしょう。折からの燕は、そんな夢や期待を大きく膨らませてくれました。「燕来る」の季語がとてもよく効いています。
秀作賞
思ひ出し笑ひする娘や春の駅 河上 輝久(大阪市)
なんてほっこりするひとこまでしょう!若い娘は、箸が転げてもおかしいと言われますが、一人でくすくす、にんまりしているのですね。恋人とのやり取りなど、思い浮かべているのでしょう。ここで「春の駅」の季語は、動くように見えますが、「春の駅」だからこそいいのですね。「春」は、万物の発生を意味し、青年期・思春期そして春情を漂わせます。青春が甦りました。
秀作賞
教科書を開く待合室凍てり 岡田 有旦(越前市)
いよいよ今日はテストだ。電車待つ間も惜しんで教科書を開きます。未だ理解できていない個所もあるなぁ。と思った瞬間、凍りつくような寒さが襲ってきます。「なに負けるものか・・これっぽちの寒さ。テストも頑張るぞ! ほら、あったかぁいパステル色の電車の到着だ」
テストに臨む真剣な姿勢が窺え、リズムの良い佳句に仕上がりました。
川柳部門 選評 墨崎洋介
第8回北府駅から始まる愛の物語・愛の詩募集の川柳部門には、小中生は応募無し、高校生は552句、一般93句、計645句という、昨年よりも118句も多くの句が集まりました。特に一般の方の応募が増えたのが多くの人に認められた証しとして嬉しく思います。
高校生の句は似たり寄ったりのどんぐりの背比べの感は否めません。しかし、そこからキラリと光る作品、一歩抜き出た表現の句を見つけた時は選者としてこの上ない喜びです。一般の部では、今回はやや低調であったかなと思いました。北府駅から発車した電車をどこまでも自由に走らせて下さい。極端なことを言えば銀河まで飛んで行ってもかまいません。来年は自由奔放に北府駅の電車を走らせて、面白い作品を寄せて下さるよう期待しております。
フクラム賞
北府駅春待つ僕ら出逢う場所
林 里緒菜(武生商業高校二年)
通学駅に過ぎないと言えばそれまでだが、青春の悩み、苦しみの交差点には違いない。「春待つ僕ら」という措辞が、希望を期待する心根が感じられて清々しい気持ちにさせられる。無人駅には違いないが、立派な構えの北府駅が、きっと喜んで君たちを見守っていることだろう。
優秀賞
無人駅君と私の秘密基地
玉川 真実(武生商業高校三年)
図らずも前の句で無人駅と述べたが、無人駅といいながらも北府駅は駅名も由緒正しいし、構えだって、そこらの駅には引けを取らない。その北府駅は、秘密基地というからには子ども時代に返ったように無邪気ながらもドキドキとした思いが深い駅なのだろう。いつまでもその純真な想いを大切にして欲しい。
秀作賞
ひと電車早いと違う顔に逢う
細川 武幸(鯖江市)
都合で一つ前の電車に乗ると、いつもの顔ぶれと違ってなにか落ち着かない。同じ電車のいつもの顔ぶれは、いわば運命協同体のような親しみを感じる人たちなのだ。もちろん特に気になる人に逢えないのも物足りないのだが・・・。その日は一日が落ちつかない気分だった。
秀作賞
発車ベル暗夜へ消える恋心
木戸口 梨華(武生商業高校二年)
恋を失った傷心を列車の速度がさらに加速させる。現実は非情だが、しかし恋を闇へ葬り去るにはまだまだ時間が要る。そこのところを巧くまとめている。一片の詩にも匹敵する内容を盛り込んでいる。
越前市文化協議会
墨 崎 洋 典(男)sumisaki yousuke 会長 (脚本)
河 合 俊 成(男)kawai tosinari 副会長 (写真)
塚 崎 廣 行(男)tukasaki hiroyuki 理事長 (詩吟)
鶴 来 はつね(女)turuki hatune 副理事長 (日舞)
和 田 てる子(女)wada teruko 文芸教養部長(俳句)
田 中 純 子(女)tanaka junko 事務局 (剣詩舞道)
田 村 佳 子(女)tamura keiko (琴)
小 川 美 苗(女)ogawa minae (琴)
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(選考委員)
北府駅から始まる 2021
墨 崎 洋 介 《愛の物語・愛の詩》作品集 NO8
和 田 てる子 令和三年三月十五日発行
笠 嶋 賢一郎 編集・発行 北府駅を愛する会
青 山 雨 子 発行者 竹内 伸幸
千 葉 晃 弘 事務所 越前市国府二ー一二ー七
奥 出 美代子 電話 0778-24-2024
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